elude丸

日々の思い描くことをツラツラと綴るブログ

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演出過多による自己崩壊で「THE MANZAI」が賞レースから撤退

   


漫才の賞レースが一つ消えるという事実に思う

私はこう見えて、結構なお笑い好きである。
バラエティ番組が好きっというのもあるし演芸として漫才やコント番組なども大好きだ。

関西人である。というのも影響が大きいだろう。
土曜の昼は「新喜劇」などを見ていたし
漫才番組は関西のテレビ局では度々放送されていた。そういうのも一つの要因としてあるとも言える。

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さて、そんなお笑い好きな私が少々残念に思うのが、こちらの記事。

賞レース撤退「THE MANZAI」がこだわる“お笑い番組の格付け”

賞レースとして漫才を一気に脚光を集めたのは「M-1」であったのは間違いない。
しかし、それまでも賞レースの番組はいくつもあった。
特に関西には多くのメジャーな漫才タイトルがある。東京や他の都市では、耳にしないタイトルのため
なかなかその浸透力がないが、各テレビ局が主催し関西では知名度があるのは間違いない。

実際、タイトル保持者の漫才師は「格」や「箔」を持っているように見え
実力者の証として関西では一つのステータスになっている。

「THE MANZAI」が賞レースをやめたのはどうしてか?

さて、どうして私が「THE MANZAI」が撤退したことを残念に思うのか。
それは上記で上げたように、関西では幾つもの賞レースが存在しており
複数の賞レースがあっても別に気にする必要などない。
実際、全国区の漫才の賞レースなどほとんどないのだから切磋琢磨するべきなのだ。

そんな中で私が推察する賞レースを撤退してしまった理由とは
ただただ演出過多による自己崩壊では。と考えている。
そこに、もっともらしい撤退理由を並べて、言い訳がましい理由付けをし適当に終わらせたのでは
と考えるのだ。

演出過多とはどう言うことか説明すると、どうもフジテレビの伝統なのか
ステージのセットなどを綺羅びやかに、豪華に演出したくなる傾向にある。
多分、これまでの視聴率を取ってきたバラエティー番組の経験則がまだあり
綺羅びやかなセットを作れば、視聴率も取れると勘違いしている人間がいるのだろう。

確かに華やかなのは良いが、所詮は賞レースであり、輝くのは漫才師だけで良いはずだ。
漫才中に過剰な演出もいらないし、観覧している出演者の笑う表情だって欲しくもない。
綺羅びやかなセットは漫才師を栄えるために必要なら良いのだが
そうならないことも多々あるのではないだろうか。

ただ素直に漫才師達の漫才をお茶の間へと届けてくれることに徹して欲しいとさえ思う。
それだと絵柄が変わらず、つまらないと判断した視聴者離れ視聴率が期待できないのだろうか。

私は内部の人間でもなければ、テレビ業界に関わってきた訳ではないので詳しい実情を知りはしないが。
どうにもテレビ業界というのは
過剰演出を過度に行ってきたことで過多な演出を続けないと視聴者が飽きてしまう。という
自分で自分の首を絞めるような状況に陥ってはいないだろうかと思える。
それが、演出過多による自己崩壊という言葉に詰まっている。

そしてその演出過多による自己崩壊はまだまだ他にもある

他にも気になることがある。賞レースは漫才師の漫才を楽しむためのものであるが
どうにもこの「演出過多」によって、メインとも言える漫才師自体が死んでしまっているようにすら思える。

その演出過多というのは、見に来ている豪華ゲストのことである。
一般客を入れるのはステージとしては必要となるが、豪華なゲストは特に必要とはならない。
豪華ゲストを入れるのは視聴者の興味を引きつけておくための餌でしかない。
しかし、その豪華ゲストをがあまりも美味しい餌過ぎると、演技する漫才師自体が名前負けしてしまいかねない。

そう、視聴者は漫才師の漫才を見たいのではなく
豪華なゲストを見たくなり、豪華なゲスト目当てで賞レースを見るようになってしまう。
それは結果として漫才師の漫才が前菜や添え物のようにしか見えなくなり
漫才中の視聴率が悪くなり、視聴者の興味を失ってしまいかねない。

そして、それが如実に現れるのが「ビートたけし」さんの登場である。
ビートたけしさんと言えば漫才師としても有名であり、今の芸人の中では大変ビッグネームでもある。
こうなると、どうしても視聴者は「ビートたけし」さんの指標や意見が聞きたくなる。
そして、同時に漫才師が披露した漫才の判断基準が自分と同じがどうか、知りたくなり
注目するのが漫才よりも「ビートたけし」さんが下す批評へと視聴者の興味がずれてしまい。
賞レース事態がドッちゃらけてしまう。……こんな賞レースなど面白いはずもない。

断っておくがあくまで「ビートたけしさん」の批判をしたい訳ではない
演出部分の疑問として定義を考えている。
そう考えた時、これまでの放送を思い出すと、ビートたけしさんは寡黙だったように思え
こういう事を留意して、発言をあまりしてこなかったのかもしれない。

演出側としては、ビックネームを連れてくることで番組の泊を付けたいと狙ったのだろう。
しかし、結局のところ演出過多により番組事態が自己崩壊してしまい
賞レースから撤退することになってしまった。……これが私の推察である。

実際お笑いとして、東西文化の違いは大いにある。
そういう意味でも、東西それぞれで賞レースを行い。
大晦日なり正月などに、東西の漫才師を集めて大会する方が、注目度があがるような気がするが……。
まあ、その場合。漫才師が幾つものネタを用意しなければならず
その負担たるや尋常ではなさそうだw

 - ヨモヤマ