elude丸

日々の思い描くことをツラツラと綴るブログ

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「オタク」という没個性化は時流が作ったのか?しかしフロンティアはある!

   


オタクという言葉の融解に納得と共に、私なりに推察してみる

「オタク」なのか「ヲタク」なのか。未だにハッキリと明確な回答ができないeludeです。

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先日、そんなオタクをネタにした記事を読んで
面白いなーと関しましたので、ちょっと紹介したいと思います。

エセオタクって言葉、好きになれないなぁ

「エセオタ」という言葉から「オタク」というジャンルが融解を行っており
誰も彼もが「オタク」を自認するようになり
結果として没個性化してしまっている。という記事。

そんな記事の中で興味を惹かれたのが

ちょっとアニメを齧っている人なら、「好きなアニメが『ワンピース』と『フェアリーテイル』」からオタクという言葉を想像するまい。が、こういう会話を目の当りにする程度には、オタクって言葉は薄まったのだな……と改めて驚いた。

という一文、「オタクが薄まった」という表現をされているが
たしかにそう言えるのかもしれない。私もそう感じ納得できる。
しかし、「オタク」という言葉を使っている人からすると、ただただ母集団を説明する
名称として「オタク」を使っているだけではないのか、とも考える。

つまり、これまでは「サブカルチャー」という言葉が「アニメ」や「ゲーム」など
全体を表す母集団であったが何時からか呼ばれなくなり
「サブカルチャー」から「オタク」へと
言葉の継承が使う人々の間で進んだだけではないか、と推察している。

どうして没個性化してしまっているのか。という部分に
私なりの推察ではあるが触れてみたいと思う。

没個性化する「オタク」という言葉、その原因は?

最初に私が考えたのは「OVA」文化の変遷ではないだろうか。
OVAというのはオリジナルビデオアニメーションの略称で
テレビ放送による広告収益をあげるのではなく
アニメを記憶媒体で発売することを販路とし実売収益をあげる方法である。
1990年代に始まった販売方法で、VHSだけでなくレーザーディスクなど
新しい技術と融合し、一つの文化として若者に取り入れられた。
今でも、深夜アニメはある意味で「OVA」と同じ方法で収益をあげているが
昔の「OVA」とは大きく異なる点がある。それは、深夜といえどもテレビ放送される点

昔のOVAはテレビ放送などしない。いや、中には出来ないような過激な内容も含まれており
ある意味でアニメ雑誌などの特集などを見ることで、期待を胸に購入するものであった。

しかし、今では深夜アニメで販売前に放送されることから
一度は誰もがその作品に触れる機会がある。
その上で面白い作品なら購入することもできるし
面白くなければ購入しなくて済む。という選択肢が与えられている。

そう考えた時、今と昔との「オタク」という言葉の重みを理解できるのではないだろうか。

昔はOVAのアニメを購入すると今以上に高額の金額が掛かっていた。
(大量生産できるだけの技術もなければ、売れる見込みもなかったからだ)
高額によって手に入れたOVAには駄作もあれば、秀逸に今なおファンのいる作品もある。
そんな玉石混交の中からお金を掛けて購入し視聴する層。それこそが「オタク」だったのではないだろうか。

だが、今では事前に内容を見ることができ、期待はずれな作品は回避することができる。
こうなった時、アニメオタクというものの価値はどうだろうか。
私的には高いとは思えない。

確かにアニメの豊富な知識で、その価値を見出すこともできるが
それだけの人間ともなると希少すぎて、逆にオタクという言葉には当てはまらない。
周囲に1人も存在しない、という希少すぎては「オタク」という言葉が使われることがなくなってしまう。

アニメではそうだったが、ゲームのオタクはどうか?

ゲームに至ってもそうだ。昔は親が「いつまでピコピコしてるの!」
叫ぶほど親にすれば理解できない文化だった。
しかし、今では家族でやるゲームが増え、TVCMにまで親役が登場する。

そして、最も変わったのはゲームそのものだ。昔のゲームはユーザーに対して挑戦的だった。
難解な謎解きに、デバッグをしてないであろうバグの嵐。進行不能バグなど幾つもあった。
当時は村人全員に話さないと次の行き先すら見付けられないこともあり
話を聴き逃がすと改めて聴くことすらできなかいなどもあった。
セーブという概念がないものもあれば、セーブデータが消えるという凶悪なものも存在した。
そのために、子供はなけなしの小遣いで攻略本を購入し、徹底的に遊びつくした。
そういうゲームをクリアしたり、極めたのなら「オタク」として誇れただろう。

しかし、今のゲームは謎解きもどこかで見たもののパクリ。
デバッグは外注業者がいるほど浸透している。
そしてガイドが今ではしっかりと行き先を示してくれるので
村人など一度も話さなくても先に、フラグという概念が浸透してしまったため
必要以上の会話など、趣味の世界にまで落とし込まれている。
そしてシナリオ展開がしっかりと描かれないと、その奥に潜んでいる思いなども推し量れないほど
ゲームをする人間の思考が停止してしまっている。
万人が遊んで、楽しむこと、だけに特化しているゲームの現状で「オタク」として賞賛されるだろうか?

これらもまた「オタク」という言葉を没個性化してしまっていると、言えるのではないだろうか。

では、コンテンツを提供する側、深夜アニメからOVAという形を作ったアニメ制作会社
ガイドを付け、誰でもクリアできるものを作ったゲーム開発会社
が悪いのか?
それともコンテンツの受領だけを続け、判り易い作品ばかりを楽しんできた
私達ユーザーが悪いのか?

それに関しては答えなどでない。
時代の流れとともに、より最大公約数的に幸せになれるように文化が洗練されていった結果であり
進化した流れでもある。それらを否定することなどできはしない。
それに、時流は時として吹き戻しを行う。
簡単で誰でも手に入るものが溢れると、人は自分にしかできない事を求めて
自分だけのコンテンツを作ろうと足掻くもの。

そう考えた時、マインクラフトなどの箱庭ゲームというのは
新しい切り口なのかもしれない。

これらを考えた時、記事で紹介されている言葉がしっくりと来る。

融解してしまったオタクという言葉にもたれかかるのではなく、求道的に趣味を究めるなり、生涯の趣味として愛好するなり、実践を積み重ねるしかないだろう、と思う。

しかし、まだフロンティアは存在する。
それは「漫画」という文化である。漫画は同人誌などの文化があり
毎年のように新しい新進気鋭の作家が誕生し、オリジナルの文化を発信し続けている。
自分しか知らない、自分だけがファンの作家。そんな自分だけの特別な作家を見つけ
それをみんなへと教えることで、「漫画オタク」としての矜持は守れるのではないだろうか。

ここからは余談だが
OVAというと当時「天地無用!」が大好きだったことを書きながら思い出したw
未だ完結していないことに当時のオタクとして危機感を覚えてしまうw
だが、第四期。楽しみにしてますw

 - アニメ, ゲーム, ヨモヤマ