elude丸

日々の思い描くことをツラツラと綴るブログ

*

裸芸人が増えたことで苦情によるTV局の萎縮が広がらないか心配

   


裸芸人が増えたことで苦情に対する対応が気になる

昨日、フジテレビ系列で「R-1ぐらんぷり」が放送され
優勝したのは「ハリウッドザコシショウ」となりました。

最初から全挑戦者のネタを見させてもらいましたが
それぞれ独特の物があり、楽しませてもらいました。

個人的には「おいでやす小田」が気になった所。
ネタとしては大変おもしろく、緩急のギャップが上手くできており
完成されているネタだったと私は思うだが
審査発表前に本人も言ってたが、やはり直前が「ハリウッドザコシショウ」という
色物ということもあり、披露する順番に恵まれなかった。と言わざるを得ないですね。残念。
でも、あのネタ順であそこまで笑わせたのだから力は十分。

また、個人的には「ゆりあんレトリィバァ」押しだったのだが
準決勝では良い感じだったのに決勝のネタは、少々爆発力に掛けました。
何でもないことをセクハラだと、過剰認識するボケなのだが結構伝わりづらい。
他二人が体で見せる、思考を必要としないネタだったこともあり
その落差が激しく、正直会場は重たかったように感じます。
後半にはなかなかセクハラに繋がらないという落ちがあったようですが
個人的には、そこも結局繋げられず。というオチの方が良かったように思える。
まあ、しょせんはシロウト考えです。セットなどが用意されていたことを考えると
決勝はこれ、という決め打ちがあったのでしょう。
しかし、他の対戦者を鑑みて、ネタも変えるべきだったとは思います。

さて、そんなR-1ぐらんぷりですが
今回、どうにも気になったのは「裸ネタ」の多さです。

MCでもある雨上がり決死隊の宮迫さんが言っていましたが
決勝進出者の三人の二人が裸っていうのはどうなんでしょうか

笑いというのは、基本的にはフリがあってオチ
それとは別にフラというのも重要になってくる。
フラは、フリを効果的に見せるため力を発揮するもの。

優勝となった「ハリウッドザコシショウ」を考えてみると
フリが「誇張した○○」というモノマネ芸
オチがモノマネをしてみるが結果、「全く似ていない」
フラが「裸」だったのではないでしょうか。

つまり、裸の人間が似ていないモノマネ芸を全力で披露したことによるお笑い。という訳です。
コレに対して私はケチを付ける気持ちはない。
自分がやれるか?と聞かれるとそんな勇気はないからです。

しかし、そんな裸芸人ばかりが出てくるとまた色々と……

baby

どうして、そんな話をするのかというと
現在、日本のテレビというのは、どうにも世間一般からの
非難や苦情に関してあまりにも機敏に警戒をしすぎる雰囲気があります。
何かあれば苦情を訴え、それに対して脊髄反射のように対応し
番組自体が終了させられたり、萎縮する傾向にあります。

そんな状況で「裸」を芸とする芸人が
今後、テレビに出続けられるのか、何とも心配です。

そんな苦情に対して機敏に反応をする。というのは
放送している番組の視聴視聴者数を、テレビ局が把握していないことに起因するのでは?
と個人的には思っています。

テレビ番組の優劣は「視聴率」という形で数値化されますが
あれはある一定の人間の統計を元にした標本調査でしかありません。

ある番組が関西圏で「15%」を取ったからと言って
大阪や兵庫、京都などの近畿地方の全世帯の「15%」が見ていたではない。
あくまで標本調査ということで全体像が見えている訳ではなく、統計を元にしたデータでしかない。

つまり、視聴率では全体像が見えないからこそ、テレビ局へと訴えられてくる苦情に対して
その苦情が、どれだけの重みがあるのか判断することができない。
例えば、テレビ番組で「1000件」の苦情が来たとして
苦情の件数としては多く、対処するべきかもしれないと萎縮してしまう。

その打開案として私が訴えたいのは
テレビ番組の視聴状況をリアルタイムで集計するシステムの確立。
標本調査ではなく、実数での結果を得られるようにする。
これができることで、テレビ局は視聴者の数を把握することができます。
例えば先に紹介した「1000件」の苦情も
全国放送で「3000万」も視聴していた。というデータが合った場合
その苦情の重要性というのはあくまで小さくなると言えてくる。

最後に大前提とするが、すべての苦情が割合で決められるわけではない。
致命的な問題や人権に関わるような問題などは、割合では解決できない問題とも言える。
私が利用を訴えるのは、判断に困るような内容の時の
指標として利用を考えてみては如何だろうか。

 - ヨモヤマ