elude丸

日々の思い描くことをツラツラと綴るブログ

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eスポーツが広がらないのは家庭用ゲーム機に起因するのだろうか?

   


最近、日本でも聞くようになった「eスポーツ」
そんな「eスポーツ」を取り上げた興味深い記事を読ませてもらったので紹介する。

日本でeスポーツが流行らないのは“おじさんゲーマー不足”? 協会理事に聞く

日本eスポーツ協会の理事にインタビューを行っている記事で
日本と海外との浸透の落差、今後どのように発展させて行くのか。
今後の展望を含めて紹介されている記事なのだが
そんな中で私が気になったところを引用させて頂く。

国内では任天堂やセガ、ソニーなどが家庭用ゲーム機のヒット作を次々と発売。「ゲームといえば、部屋で1人で楽しむか、家族や友人とのコミュニケーションツールに過ぎない」という考えが定着していった。家庭用ゲームソフトの多くは子どもを主要ターゲットとし、競技性が低いため、eスポーツの源流が生まれなかったと馬場教授は説明する。

日本国内でeスポーツが生まれにくかった根本的な理由を推察されているのだが。
少々、個人的に腑に落ちない部分がある

game_esport

私が少々疑問を感じるのは、家庭用ゲーム機が日本だけで爆発的にヒットしたわけではない。ということ。
そして、今現在eスポーツの一つとなっている対戦格闘ゲームは
家庭用ゲーム機へと販売されたことでユーザー層が大きく膨らみファン層を得ている。
そこからeスポーツへと繋がるプロもドンドン生まれて行ってもおかしくないはず。

それらを踏まえて、家庭用ゲーム機が広まったから。というのは
外れてはいないが、正確に的を得ていない。と感じてしまう。

では、何をもって日本にeスポーツの普及が進まなかった。と思っているのか
個人的な見解はこうだ
「ネット対戦へと踏み込んだ歴史の違い」ではないかと推察している。

どうしてネット対戦の歴史がeスポーツに関わるのか

さて、ここで少し話を変える。eスポーツにおいて、一つのジャンルとして確立されているのが
「RTS」(リアルタイムストラテジー)と呼ばれるゲームジャンルがある。
このRTSの先駆けとして有名なのがマイクロソフトから販売された
「エイジオブエンパイア」シリーズだ。

「エイジオブエンパイア」シリーズは
相手よりも早く文明を進化させ、より強力な兵器を用いて領土を占領していくゲームで
ゲーム性としてはパソコンで展開できるようにマウスとキーボード特化した
設計がされていたように思える。

だが、当時の日本はまだまだパソコンをゲームとして
楽しむユーザー層というのは多くはなかった。
結果として、日本では爆発的な人気を博することはなかった。
まあ、個人的には楽しませてもらっていたが
所詮はローカルな集団での流行りであったと認識している。

他にも私が大学時代に個人的なマイブームになっていたゲームがある。
それが「Quake2」という、FPSというジャンルの黎明期に登場したゲームだ。
それも、イントラネットを使ってのIP接続対戦に大変はまっていた。
良くゼミの友達と時間を見つけては殺り合っていたw

そして、上記で紹介した「エイジオブエンパイア」にも
IP接続だったかは定かではないが、ネットを介した対戦モードが備わっていた。

そう考えると、海外産のゲームには古くからネットを介した対戦というのが
一つのコンテンツとして提供されており、それが土壌としてあったのではないかと思える。

最初はネットを介した一つのゲームモードとしての位置づけだったのだろう。
だが、後にその楽しさが広まりを見せると
「アンリアルトーナメント」という対人戦に特化したゲームが開発されたり
一つのネットを介した対戦が主流になるゲームも登場するようになった。

これはいずれも海外ゲームの話。
当時の日本は、まだまだコンシュマー機にオンラインが接続できる技術はなく。
(始まりはPS2から。モデムを取り付け接続ができるようになった)
まだまだ、ゲームとして広がりを見せるには至ってはいなかった。

つまり「ネット対戦へと踏み込んだ歴史の違い」によって
eスポーツへの海外と日本の落差が生まれている。という風に私は考える訳だ。

とは言え、主たる原因がハッキリとしているわけではない。
日本でパソコンのゲームが広まらなかったのは
一時期、NEC製のPC98とDOS機との格差があったり
記事で紹介した教授が言うようにパソコン・ゲームの開発よりも
コンシュマー機の開発へと市場がシフトしてしまった。
その結果、パソコン・ゲーム市場が日本で花開くのが遅れてしまった。
などなどの原因が複雑に絡んでいると感じずにはいられない。

eスポーツをゲーム会社がマーケティング利用できるれば

さて、ではゲーム開発を行うゲーム会社から
eスポーツを見るとどうなのだろうか?

個人的にはマーケティングとしてアリだと私は見ている。
多くのユーザーが興味を持ってプレイしてくれるわけで
必然的にファン層を構築することができる。そして、次回作が出るたびに大きな反響が広がる。
反響は肯定もあれば否定もあるだろうが、広がりを見せるのは間違いない。

とは言え、注意するべきこともある。
難しいことだが「良作でなければならない」ということ。
何はともあれ、ゲームが楽しいからこそファン層が増える訳で
ファン層がいなければ対戦してくれるユーザーもいなく、コンテンツとして栄えることはない。

そして、ファン層を獲得するためには
ゲーム会社がコンテンツに対して調整や整備を怠ってはいけない。
つまり、バージョンアップやバランス調整などを継続的に展開し
ユーザーを満足させるための対応に意識を向けなければならない。

とは言え、バージョンアップやバランス調整にはコストが掛かる。
それを継続的に行っていくには、そのコストを払い続けなければならない。
となるとコストをつぎ込むだけの見極めが必要と言える。

海外ゲームの場合、定期的なバージョンアップやバランス調整を
頻繁に行い、継続的に更新を続けることが多くある。
対して日本は開発が終了すると、開発に関わったチーム自体が解散するのか
バージョンアップもそこそこで終了。というのを見かけることもある。

バージョンアップやバランス調整には悲喜こもごもな状況を
ユーザーたちへと引き起こすこともあるが、それもこれも
ファンだからこその反応とも言える。

そういう意味では日本の中でそれをやっているゲームがある。
それが任天堂が販売している「スプラトゥーン」だ。

あのゲームは開発が終わり、販売が開始されても
新しいゲーム性を提供したり、武器を増やしたりと
意欲的にファン層を広げるためのバージョンアップとバランス調整を繰り返している。

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