elude丸

日々の思い描くことをツラツラと綴るブログ

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ネット上の手に入れやすい情報は逆に触れてもらえないというメカニズム

   


起こりえるレッテル貼りはこういうメカニズムかも?

 

個人的にメディア論などでたびたび取り上げさせて頂いている境さんが
大変興味深い記事を掲載されている。

正直、記事内でも書かれていることだが
注意点があるので先にその部分を引用させて頂く。

ただこの文章、8000字以上あってものすごく長いので、ヒマで仕方ない時にでも読んでほしいんだけど。

さて、その8000字を超えるその記事がこちら。

NewsPicksと話した件と、TokyoFMに呼ばれた件と、保育園問題に七転八倒するおっさんの愚痴

文量としては上記で引用したように何とも膨大で
読むのにそれなりに時間が掛かるもの。
だが、ことの顛末と共にすべての流れについてよく理解することができる記事と言える。

おこがましいことではあるが簡単に要約を入れさせて頂くとすると
境さんが書かれた記事に対して、コメント欄を使って非難されたことについて
NewsPicksなどへと掛け合ったことの顛末などが書かれています。

たびたび境さんが書かれる記事を紹介させて頂いているが
別に知り合いという関係でもなければ、面識などこれっぽっちもない。
なのに、どうして紹介するのか。というのも記事が興味深いと共に
書いている内容に誠意が伝わってくるから。と私は受け取っている。

とくに保育園問題について取り上げた記事は
反対を表明されている方への配慮が十分されていたように私は思えた。
決して反対することが悪だと、断罪するような記事ではなかった。こと
反対する意見に対しても一つの主義として理解し
その意思に寄り添う良い記事だったと私は受け取っている。

だからこそ、今回の記事でも書かれているように
反対意見を持っている人から、毛嫌いされ排除されていることに心苦しい思いがある。
「マスコミ」というカテゴリに当てはめて
個人で活動されている多くの人達をまとめてしまうこと。
レッテル貼りとよく言われるが、その典型的な対応だと思えて仕方ない。

leo_lion

ネットなどで横行するレッテル貼りというのはこういうメカニズムかも?

SNSやネット社会になった現在のレッテル貼りが怖いのは
ネット上で簡単に読めたり、手に取ることができる情報だからこそ
”読まない”という選択をしてしまうこと、だと私は見ている。

簡単にその理由を紹介するために、とある反対意見を述べる集団を想像して欲しい。
何十人規模で、何かしらについて反対意見を述べ運動している集団だとする。
そんな集団の関係性は強固であり、同じベクトルを向いている
と信じているからこそ、集団内の情報共有は「信頼」に値すると個人が認識している。
なぜなら、自分と同じ活動をし、同じ集団として成立しているからだ。
そんな集団内で言われていることは信頼に値する。と頭の中で認識し
自然と「信頼」という数値に補填されている。

さて、とある記事がそんな集団について取り上げた。しかし、読むのは少数でしかない。
なぜなら、読んだ人間が集団の知り合いに「記事のベクトル」を紹介するからだ。
とある記事のベクトルがリベラルで中立性を保っていたとしても
「記事のベクトル」を判断した集団の少数は「読まなくて良い記事」として集団内で広めてしまう。
結果、簡単に手に取り読むことができるネット上の記事ながら
集団内で「信頼」という数値された知り合いの言葉を信じ。
「読まなくて良い記事」=「読む価値のない記事」と頭の中で保管され
”読まない”という選択をされてしまう。

別に集団は反対意見を述べる。でなくても良い。
集団を「日本国民」として、記事を読む少数を「報道関係」としても成り立つ。
私が言いたいのは集団心理的な考え方として
どうしてもリアルで信頼が置ける人間からの言葉というのは
手に入りやすい情報よりも信じてしまう。ということを言いたいだけなのだ。

今回の記事に関して、興味深い、という言葉が適当だとは思わないのだが
興味深く読ませて頂けた。境さんが地道に行ってきた活動個人で取材を行いながら
どうやって記事を書いてきたのか、どんな思いをして書いてきたのか。
そういう部分に関しても書かれている事が興味深いと思える。

後半部分に関しては、あまり触れるべきではないと思う。
……のだが、「批判」と「非難」について、少し考えるべきだと思わずにはいられない。

何か反論があり、何か間違っていることがあるならば、しっかりと理性的に
どこの部分がおかしく、どこが受け入れられないからこそ批判する。ということを伝えなければならない。
それができていない、ということは「非難」になりえてしまう。

とは言え、ネットの社会は奥が深い。誰かに噛み付いて、何かしらの利益を得ようとする人間もいるし
真偽が定かでない内容を声高に叫んで人が釣られることに面白みを見出す人間もいる。
また、他人が造った労力を推し量らず、さも自分で書いたように簡単に転載、転記する人間もいる訳で
深く、そして真意を得ようと関わることで
そういう思想を持つ人間に対してさらなる燃料を投下してしまう可能性すらもあるのが
ネットの社会の深みといえるように私は思える。

私個人なら、こういう問題には深くかかわらない。を選択してしまうだろう。
ちなみに、一発屋云々、に関してはこんな記事を紹介させて頂きたい。

<「一発もない屋」たちの嫉妬?>高橋ジョージの収入・豪遊自慢を批判する人たち

そういう私も一発屋になりえていないが、個人的にはなりたいとも思っていない。

 - ヨモヤマ