elude丸

日々の思い描くことをツラツラと綴るブログ

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子供を子供としてオトナは矜持を見せる世の中にしたいものだ

   


子どもが子どもらしくいることをオトナが取り上げている現状

ここ最近の保育園反対問題に関して
様々にテレビやメディアなどで取り上げられていますが
今回紹介する記事には別の面で興味が湧く内容となっています。

子どもが子どもでいられる時間・空間が減ってしまった

結局、今、子どもが子ども然としたまま過ごせる場所は「隔離」された特定の空間や状況に限定されています。最近は【子どもOK】を掲げる旅館やレストランも現れてきていますが、それを特色にする店があるということ自体、社会全体の風潮として子どもが「隔離」の対象になっていることを反映しているのではないでしょうか。

この一文には大変興味深く、改めて頷かざるをえない。
たびたび読ませて頂くブログだが。本当に目の付け所が違う。
まさにその通りだと共感しました。

権力を持ったオトナという人間が、権力のない子供を排斥している。
という風に見えなくもない構図が見えており
反対だけでなく、しっかりと歩み寄れる部分のつながりも
残して欲しいものだと思わざるをえない。

自分たちが子供の頃は、子供の自分たちを温かく見守ってくれていたオトナ達がいたわけで。
その時のオトナたちに感謝の意を感じるならば
それを今後の子供たちへと返していこうという心意気もって頂きたい。

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そして何より引用させて頂いた中で記されている「子どもOK」という言葉には
思いついた私ですら反吐が出そうな深読みをして仕方がない。

大変反感の買いそうで、あまりにも不快感を伴うことではあるが。
「子どもOK」という記述は、どうにも「ペット同伴OK」と同一視してしまう。
改めて記述させて頂くが、ペットと子どもを比べたいわけではない。

「子どもOK」という掲載に関してはあまりにも無頓着すぎる。そんな感情しか芽生えてこない。
じゃあ、それが無い所は「子どもNG」なのか?
そもそも、そんな掲載をしなければ子どもは入店すらできないのか?
そう疑問をぶつけたくて仕方がない。

子どもを子どもと考えていなかった時期の話を少し交える

少し話を飛ばさせて頂くと「中世」の欧州では
子どものことは「子ども」として捉えられていなかった。
その当時は子どものことを「大人になれていない大人」という認識があったそうです。

うん?同じじゃないか?と思うかもしれませんがこれは大いに異なります。
「子ども」という認識ならば、そこにはある程度の寛容さ優しさ慈悲なども芽生えるもの。
そして、ある程度の事に対して許容することをオトナとして求められる
なぜなら、今後の未来を背負っていかなければならない1人1人なのだから。

ですが「大人になれていない大人」というのは「オトナLV1」ということで
オトナとしての常識や認識などが全然できていないダメダメのオトナという認識をしている。
そう、子どもではなく「できないオトナ」という認識を持っていたのだ。
そこには寛容さ優しさ慈悲などは必要ない。
出来ないことへの反応は怒り叱責嫌悪を持って接することができるわけだ。

そして、今回紹介した記事の内容である。
どうにも、この「中世」の頃の考え方になり始めているように思えて仕方がない。
いや、大人ではなく。ペット……。なんてことは考えたくないのだが……。
今を生きる寛容なオトナとして対応することはできないものか?
そう思わずにはいられない。

 - ヨモヤマ