elude丸

日々の思い描くことをツラツラと綴るブログ

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アニメの「文化の定着」は輸出前ローカライズで本当に実現するのだろうか?

   


ジャパニメーションという言葉は文化の定着を表現しているのか?

つい先日、アメリカのロサンゼルスで「アニメエキスポ2016」が行われていたそうだ。
そんなイベントについて取り上げられている記事を紹介したい。

ロス・アニメEXPO2016に見る日本文化の米国定着

イベントについて記事内では次のように紹介されている。

ロサンゼルス、コンベンションセンターで7月1~4日にかけてアニメエキスポ2016が開催された。これは日本アニメーション振興会が主催するイベント。第一回は1992年で、この時の入場者数は1700名程度だったのだが、今回は四日間で、なんと26万人がここを訪れた。もちろん、北米最大のフェアだ。

確かに「最大」と表現もあながち間違いではないだろう、「26万人」なのだから。
とは言え、アメリカという規模を考えると……。まだまだ集まってもよかったのかもしれない。

ax_2016

さて、そんな記事内で筆者である「新井克弥」さんが最後にこういう言葉を綴られている。

もし、こうやって文化というモノが輸出され、輸入された文化の中に流し込まれ、一般化したとするならば、実を言えばそれこそが日本文化の世界への浸透であることの証明ということになるんだろう。

これはまさに私も思うことで、以前に「コスプレ」について取り上げており
すでに日本の文化ではなくなっているように推察している。

世界戦略の「クールジャパン=アニメ」じゃなくて”コスプレ”では?

第一回が1992年で今年が2016年なので、その期間は「24年」
四半世紀ほどであり、ある意味「文化の定着」というのには
十分な期間が流れていたのかもしれない。
とは言え、文化の定着に必要なのは「ローカライズ」なのは間違いない。

記事の一文を引用させて頂くと次のように書かれている。

実感したのは、こうしたジャパニメーションの海外進出は、もはやクレオール化していて独自の文化と化しつつあることだ。起源はもちろん日本だけれども、ローカライズされてしまっていて、もはや別の文脈で解釈、あるいはカスタマイズされている(「オタク」という言葉が”OTAKU”と表記されているのはその典型。ただしこの表記がなされたのはすでに二十年近く前になるけれど、それがさらに一般化して”OTAKU=cool”という認識が定着しているのだろう)。

クレオール化というのはWikipedia先生に問合せてみると
「言語、文化などの様々な人間社会的な要素の混交現象」と書いている。
つまり混沌とし、混ざり合い、斑色になりながら
文化が文化として輸出され、やがて一般化される。ということなのだろう。

そう考えた時、私の中に思い起こされたのは特撮ヒーローをローカライズして輸出した
「ガルーダの戦士ビマ」がインドネシアで大変人気を博したマーケティングが思い浮かぶ。

文化の定着には「ローカライズ」が必須と考えると
ローカライズを輸出前に行ってしまうことで、文化の輸出から定着までの時間的コストを
大いに縮めることができるのではないだろうか。

通常の場合なら、輸出したコンテンツに火が灯り
そこから自国でコンテンツの生産に移る、という過程があるはず。なのに
輸出前にローカライズすることで、レスポンシブに文化の定着を促すことができたのかもしれない。

とは言え、ローカライズには何かと難しいところもある。安易なローカライズを嫌うこともありうる。
日本人が日本人のことを知っているのは当たり前だが
アメリカ人が日本人のことを本当に知っているのか心配になる。
それは逆も然りであり。本当にアメリカ人の事を日本人が理解しているとは言いづらいだろう。
人種問題であったり、宗教問題もあり、南北でも異なる思考もある。

輸出前のローカライズは興行としてはアリだが文化の定着としてはアリか?

そんなことを想像していると次のことを疑問に感じずにはいられない。
それは「ガルーダの戦士ビマ」のようにローカライズして輸出したコンテンツだった場合
今のように「ジャパニメーション」として人気を博しただろうか?という疑問である。

確かにローカライズしての輸出なら敷居は低く
容易にファン層を形成することもでき、売上なども期待することもできただろう。
しかし、それではあまりにも安易でイージーな文化であり
ここまでの広がりを期待できたかは疑問に感じずにはいられない。
容易に、そして簡単に知ることができるということは
それだけ安易に素っ気なく忘れていく、ということにならないだろうか。

ある意味で「オタク文化」というのはサブカルチャーとして始まり
一部のユーザーにカルト的な人気を得て、それがユーザーからユーザーへと伝播し広がることで
文化としての世界観を構築していった。そこには高いハードルがあり
困難な文化ながら、その世界感が魅力的に見えたからこそ
自ら勉強し自ら研究することで、文化の定着となった。
そこに傾けた情熱というのは純粋であるからこそ力強く、彼らを未だファンとして離さない。

そういう純粋な情熱を注ぎ込んででも勉強したい魅力があったからこそ
「ジャパニメーション」は未だにファンの心を繋ぎ止めている、と私は推察しているのです。

ですが、正直心配事もあります。
何かというと「クールジャパン」などで取り上げられるコンテンツの多くは
私が学生や幼い頃に放送されていたものばかりで
その先に続く新しいコンテンツが見えてこない。
次のヒット作というものが出ない限り、この純粋な情熱は続くことがあるのか心配をしてしまう。

 - アニメ, ヨモヤマ