elude丸

日々の思い描くことをツラツラと綴るブログ

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2016年ゆくネタくるネタ:美術の教科書という画集が見せる二面性と分水嶺

      2016/12/31


2016年「ゆくネタくるネタ大放出スペシャル」11月25日頃メモより

2016年11月25日頃に書いたネタメモから抜粋。
よく読ませて頂くサイトというのは、やはりそうそう変わらない。
理由は日課になっていたり、考え方に共感したりすることからくる。
私の中で「シロクマの屑籠」というのは、そういう位置にいる。
そんなシロクマさんの記事からネタをメモしていたのだがボツに。
ボツ理由としては芸術も分からないのに偉そうなことを書いていたから。
とはいえ、個人的な感想である、と前置きをおいたうえで
「ゆくネタくるネタ」として公開することに。

そんな芸術に関係する記事はこちら

最初に触れるかもしれない画集を再検討して欲しい

絵画を見る。というのは昔は高尚な趣味であったと言われている。
だが、今の御時世は決してそうではない。
そういう意味ではもっと多くの人に鑑賞して、感じて欲しいと思わざるを得ないのが
古くから芸術家達が描いてきた絵画の世界にはある。

確かに絵画が大きく評価をされてきた、中世や近代においては
パトロンと呼ばれる大富豪であったり、教会などに紐づく形で
美術品の発表が行われて来た経緯があり、高尚な「芸術品」という認識がされてきた。

実際、絵の具なども今以上に生産性が高かったわけではないので高価であったし
パトロンという形で、日常生活のサポートがなければ
芸術活動に専念することすらできなかった時代である。
一つの芸術を生み出すのに、どれだけの情熱とコストがかかっていたのか。
それを考えると、高尚、という言葉も当然のように思えてくる。

今のご時世を蔑む訳ではないが、時代の違い、発表出来る場の数など
当時には並々ならぬ苦労があり、選抜された天才だけが残ってきた経緯がある。

特に今の時代は美術館などが各地方にあり、収蔵されている作品が日々展示されている。
特定の場所でしか見られない。というようなことも少なくなっている。
日本にいながら、有名画家の絵画などが運搬技術の向上によって海をわたってくることも少なくない

そういう意味では、中世や近代以上に
世界的に有名な絵画に触れる機会が大いに広がっている時代であると言える。
それならば是非とも、さまざまな絵画に触れて欲しいと思わずにはいられない。

私にとってのダリ展

たびたび読ませて頂いている「シロクマ」さんが
「ダリ」という画家と出会った思い出を含めて、ダリ展へと行ったことへの感想を書かれている。

そこで私なりに思ったことがある。それは「画集」というものの二面性である。

画集という身近で見れてしまうからこその二面性

画集というのは、その作家が様々に発表してきたものを
一つの冊子へとまとめていつでも、どこでもその絵画に出会うことができる。
という思いで制作されたもので、基本フルカラーで美しく撮影されたものが
1ページ、1ページ編者の思いによって整調されて作られている。

画集には編者の思いが込められており、こういう絵画があり、こういう絵画を見て欲しい。
という思いによって絵画の良さを大きく広めるため、喧伝する目的もあって作られる。
だが、同時にその画集を見てしまったことで、絵画に触れてしまった感を与えてしまうのではないだろうか?
そこに画集の二面性を感じてしまう。

しかし、画集なんてよっぽど好きな人でないと買わない。
と思うかもしれないが、実は身近に画集はあったはずなのだ。
それは多くの人が持っていた、持っている画集である。

それが「美術」という授業で使う、世界的な有名な絵画や美術品が収められた
「美術の教科書」という画集である。

確かに世界的に有名な絵画などは、簡単に触れる機会もないので
教科書として画集のように絵画を集めて、多くの人にみてもらうのは良い。
だが、そこに画集としての二面性があるのではないだろうか?

そこに掲載されている絵画から興味を持って、本物を見たい。という人も少なくないだろう。
だが、同時に「へー」で終わってしまう大多数がいることも少なくないと思う。
有名な「落ち穂拾い」を見て「穂を拾ってる人たちの絵」で終わってしまっては勿体無い。

画集には詰まってない、絵画や美術品の良さというのは、実際に目で見た時の衝撃がある。
改めて見た時の壮観な光景であったり、額縁と含めて感じられる空気感。
そんな部分も含まれているように私は感じている。

これは画集では感じられない、生の良さ。というのがある。
しかし、そういう現物が持つ息吹や空気感までは画集に収めることができない。
そこが画集が持つ二面性ではないかと考えている。
ある意味で、芸術の分水嶺となってしまっている。

では、美術の教科書をどうすれば良いのか?廃止すれば良いのか?
いや、そうではない。紹介する作品を選抜し、小さな写真にならないように心がけて欲しい。
大きな画像で絵画を紹介し、絵画を見るための「画集」としての
「美術の教科書」を今一度見なおして欲しい。という考えをもっている。

また、美術館での絵画の見方であったり、どこで絵画を見ることができるのかなど。
ただ絵画を紹介するだけでなく、絵画に触れる場所、触れ方などについてなどを
紹介することはできないのだろうか?と思っている。

まあ、美術の授業から離れて大分経つので
今現在はそういう形に変化しているかもしれないが
私が学生の頃は正直、画集と言うには程遠い内容だったという記憶があるのだ。
そういう意味で、美術の教科書というのは
最初に触れる機会の多い画集なのだからこそ、しっかりとした造り込みを期待したい。

 - ヨモヤマ