elude丸

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邦画「進撃の巨人」が犯している「レプリゼンテーション」は単一民族である日本人だから踏み外した問題

      2017/05/09


邦画「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」が知らず知らずうちに犯した「レプリゼンテーション」

大変興味深い記事を読ませて頂いたので紹介したいと思います。

攻殻機動隊からセサミストリートまで、海外エンタメのキーワード「レプリゼンテーション(representation)」とは何か(前編)

聞き慣れない言葉「レプリゼンテーション」という考え方、概念について紹介した記事であり
われわれ日本人が日本という国で暮らしているだけでは感じられない問題を
深く切り込んだ記事構成となっており
日本人の我々にも分かりやすく解説してくれているので是非とも読んで欲しいと思い取り上げました。
「レプリゼンテーション」とは何か。から始まり記事を読了した時、そういう考え方があるのか、と
日本人が日本国内しか見ていないと決して相見えない問題の実像が現れてきます。
記事は前後編に分かれており、なかなかの読み物ではあり読み応えがありますが
読んで損の無い記事だとおもいますので、時間を見つけて読了することをオススメします。

そんな記事の根幹でもある「レプリゼンテーション」という言葉とは何か。
記事内の一文を引用して紹介させて頂きます。

ストーリーを通して、たとえ自分が人と違っていても、むしろ人と違っているからこそ、自分が社会の一部であって、自分の存在に対して社会が耳を傾け、目を向けて、価値を見出しているというメッセージを受け取りたいのだ。

物語の中で、人々は自分の存在が代わりに体現される(=レプリゼントされる)ことを求めている。

とはいえ、この引用した一文のみで「レプリゼンテーション」を読み解くのは難しくあります。
正直、だからどういう意味よ。と二重に意味不明な言葉としか受け取れないはずです。

すべてを丸投げしてしまうと良い記事の紹介で終わってしまうので
簡単に私的要約をさせていただきたいと思います。

「レプリゼンテーション」とはある意味で「帰属意識」が根幹には流れています。
ヒトとは元来、コミュニケーションを行い、コミュニティ(集団)を形成して進化を続けてきました。
人と人とのつながりを求め、集団を形成する能力「帰属意識」が人間には備わっています。

特に移民国家であり人種が入り乱れているアメリカに住む人にすると
ある意味で自分の「人種」としての帰属意識は十二分に強い意識を持ちあわせたステータスと言えます。
つまり、同じ人種である登場人物であったり、有名人であったりというのは
必然的に帰属意識を煽る存在であり、同時に自分自身を重ね
自分の中に流れる人種としての意味を見出そうとする存在にもなるわけです、
そんな人種を代表する存在のことを「レプリゼンテーション」と呼ぶわけです
今回は人種と紹介していますが、人種だけではないのかもしれません。
性別であったり、年齢層など。様々なところで有名人や著名人は多くの人の
「レプリゼンテーション」となりうる可能性があるわけです。

そんな「レプリゼンテーション」として自分を重ねている人物やキャラクターに対して
異なる人種であったり、異なる勢力、異なる帰属先が
様々な意図によって混成されてしまうことに反感を覚える人たちが存在する。
と私は読み解いています。

日本から飛び出さず、日本国内で暮らす日本人には理解し難い感覚

どうしてキャラクターの人種が違うだけでそこまで反感を買うのか。
どうしてそこまで人種に関してこだわりを持つのか。
そんな風に疑問を持つのは日本人、特に生活圏が日本国内のみで構築しているような
生粋の日本人にはなかなかに知ることが出来ない海外の実情だと言えるでしょう。

そう考えると、海外ドラマや映画などでも「○○系アメリカ人」など
自分の先祖が産まれた土地を含めて紹介するキャラクターが登場することも少なくありません。
そこには、そういう帰属意識を含めた考え方が備わっているからなのではないでしょうか。

私は生粋の日本人であり、日本国外へと出たことがありません。(パスポートすら持っていませんw)
そんな私から見ると、「レプリゼンテーション」という考え方は興味深いといえます。
単民族国家である日本において、ほぼほぼ帰属意識というのは無意識化されています。
そういう意味では、帰属意識に囚われることがなく、意識を向ける機会がなかったことから
「無頓着」でもあるとも言えます。

例えば、日本のアニメでは、日本人以外のキャラクターが登場することも少なくありません。
そのシチュエーションは海外からの留学生や突然家族になった腹違いの姉妹などなど。
いろいろなシュチュエーションで「外人」という属性を活用する設定の
キャラクター性を活かす展開もあります。

ですが、それは日本人からみた「外人」というフィルターを通した設定であるため
実際にアニメというコンテンツが、海外へと販売された時
海外のユーザーには大きな違和感となって膨れ上がる可能性が隠れているのではないでしょうか。

つまり、外国から見た日本人の描写はいつも七三分けで背広にメガネ、低姿勢のビジネスマン。
という表現がされることに違和感を覚えるのと同じように。

何気に邦画が犯している「レプリゼンテーション」の問題

特にこの「レプリゼンテーション」という言葉を聞いた時、最初に思い起こしたものがあります。

それは邦画で制作された「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」という作品です。

巨人が徘徊する世界で、巨人と戦う主人公たちが繰り広げる物語で
漫画が原作で、世界各国で人気を集めるほどファンが多い作品です。

そんな「進撃の巨人」に登場するキャラクター名というのは
字面などからも分かるように「ヨーロッパ」周辺だと考えられています。

しかし、何をトチ狂ったのか、その作品を「邦画」で再現してしまった訳です。
その結果、出演する人物は全員が日本人俳優。という奇妙な不一致によって作り上げられた作品です。

これはある意味で「レプリゼンテーション」に引っかかっている作品だと言えます。
日本の映画産業が犯してしまった問題といえるのではないでしょうか。

確かに原作は海外でも名が知られるほど有名で、ファンが多い作品です。
ビジネスを考えた時、映画化する意味合いは十二分にあることが伺えます。

しかし、その製作が「邦画」となった場合、選択肢として日本人俳優を使わなければならなくなってきます。
邦画ということから、ビジネス目標は「日本の映画市場」が第一になります。
なれば、単一民族でもある日本では、日本人俳優を使わなければなりません。

そういう形で作られた「邦画」の「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」ならば
おとなしく日本国内のみで配給していれば良いものを
原作は海外でも人気だからと世界へと手を広げようと考えた訳です。
そこには残念ながら「レプリゼンテーション」を考慮できない
「レプリゼンテーション」に無頓着な日本人という欠点を晒しただけにしか思えません。

単一民族である「日本」だからこそ考慮できない「レプリゼンテーション」

単一民族である日本人だからこそ考慮できていない「レプリゼンテーション」という考え方。
記事にもあったように「GHOST IN THE SHELL」の問題が取り上げられた時
多くの日本人が「それがどうしたの?」という感覚に襲われたかと思います。
だが海外ではそこを問題にする人たちもいることを認識しなければなりません。
特に制作しディレクションしたり企画なども行う人材には、そういうアンテナが必要です。

そういう意味では紹介した「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」へと出演された俳優陣も
配慮できない俳優とみられる可能性が海外には存在しています。
海外展望、ハリウッド進出を考えているような俳優さんがいる場合には
「レプリゼンテーション」を欠けた作品への出演は控えるべきかもしれません。

私は日本のアニメは優れている。という風に認識をしており
もっと海外へと出て、海外で受け入れられるようにできればと考えています。
ですが、海外のことを考えた時
もしかすると日本人が欠如している「レプリゼンテーション」という考え方が
一つの足かせになるのかもしれないと思えてならないのです。

昔からあるような「外人」という設定を使ったキャラクター付けは辞めにして
海外展開を含めた海外でも受け入れられるキャラクターの考察
というのも必要ではないではないだろうか。

今後、日本も厳しい状況がやってきます。
人口が減るとともに、外国人労働者を迎え入れたり
もしかすると移民を受け入れる等の考えも広がってくるかもしれません。
未来のことはわかりませんが、可能性の話としてはあるわけです。

そういうことを考えるならば「レプリゼンテーション」という言葉の意味も
しっかりと受け止めて理解を含めて、常識のように配慮する必要があるのかもしれません。

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