elude丸

日々の思い描くことをツラツラと綴るブログ

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技術が醸造される課程を知らない若者は簡単に技術が使えるものと勘違いする

   


技術が醸造される課程を知らないと、技術が当たり前のように思える

痛快だと思った記事を紹介。

インターネットは自分のために誰かが好きでタダでやってくれるべきというお馬鹿なみなさん

たびたび紹介させて頂いている永江さんの記事。
ネットはタダ、だと勘違いしている若者たちへと
きつい一発をお見舞いする記事になっています。

そんな記事を読んで私がこんなツイートをさせて頂いた。

さて、どうして「若い人」「学生」だと私は感じたのでしょうか?

どうして若い人達であり、学生だと考えたのか。それは「技術」とはそういうものだから

どうして「若い人」「学生」だと限定し「ビジネス感のなさ」だと私自身は感じたのでしょうか?

理由は若い人たちはネット環境の黎明期を知らないからです。
私のような良い年齢の人たちは、ネットの始まりからネットの黎明期などを体験して
ネット環境が実際に大きく広がっていく時代を経験してきました。
家庭で、仕事で、積極的にネットが活用され世界が広がるのを目の当たりにしてきたわけです。

それは同時にネット環境を整えることの難しさや、そこにかかるコストに関して
なんとなくではあるが理解するだけの知識を得る機会に恵まれてきました。
直接的に知らなくても、ネットで記事を書こうとすると
そのプラットフォームを設計したり、サイト管理の難しさなどを知ることになります。

対して若い人たちは、自分たちが意識し始めたときからネット環境に触れており
すでに情報はあふれるようにあったわけです。

つまり、若い人たちはそのネット環境が広がっていた過程を知ることなく
簡単に情報へと触れられる機会に恵まれてきました。
その結果、どうしても若い人達はハードルが低く見がちになるのです。

私たちの年齢層でもわかるように考えを紹介すると
「ダムのありがたみ」という判例は如何でしょうか?
私達が生まれた頃には各地の水源にダムが建設されてきた。
ダムは電力供給によって、治水事業によって我々の生活を下支えしてくれています。
そして、水源を調整することで、いつでも蛇口をひねれば水が飲める環境を提供してくれています。

さらにわかりやすい判例を出すとすると
今、この記事で書いている「日本語」というテキストです。
私達が日頃何気に使っている日本語というものは
決して無から生まれでたものではなく、当時の人間がさまざまに試行錯誤し
そして時代を重ねてよりよい形へと進化して行った「技術」なのです。
生み出した時には、さまざまな困難があったことは予想に難しくありません。

しかし、今現在の私達がその技術が作られるまでの困難を知ることもなく
日々を繰り返し、技術を使って生活を続けています。

技術が作られ、広がっている課程を同時に体験していない技術というのは
人は簡単に受け入れてしまい、その効能を十分に理解しないものなのではないでしょうか?
ある意味でそれは技術を蓄積し分業制を推し進めて発展してきた
「人間」という種の性質なのかもしれません。

とは言え、永江さんが記事にするように無知を誇って良いわけではありません。
もう少し熟慮して考えればわかることなのに考えることを放棄しています。

 - ヨモヤマ