elude丸

日々の思い描くことをツラツラと綴るブログ

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譲られるということに慣れ親しんだことが「今度の事故」を引き起こしたのかも?

      2017/10/21


譲られる精神はただ享受するだけの図々しさはいらない

痛ましい事故・事件があったことで、多くの人が恐怖を感じることになり
多くの人が興味関心を示したことで
連日のようにしてワイドショーなどで取り上げられています。

東名夫婦死亡の追突事故、厳罰検討も断念 神奈川県警

私個人的には事件だとは思うのですが
それでも事故として表記されている以上、事故と明記させて頂きます。

そんなイライラ運転が要因によって引き起こされた今回の事故。
どうしてイライラ運転してしまうのか。という焦点にてワイドショーなどで解説が繰り返されています。

そんなワイドショーで言われているのが「車」という閉鎖された空間が
自分のプライベート空間という認識を広げた結果。
自分の移動を他人に邪魔されることによってプライベート空間を侵犯されたと認識し
イライラが募るのだと。言われているそうです。

他にも「車」という個体でしか認識せず
相手自身を見ないですむために高圧的な態度も取りやすいから。
などと言われているそうです。

確かにその考え方については理解できて
イライラの原因としては、最も大きな要因なのでしょう。

しかし、私の考え方は少し違うところにあったりします。
「譲られ精神に慣れた」結果がもたらした現状なのではないか。と考えているのです。

「譲られる」ことに慣れてしまった図々しさが広がっている?

「譲られ精神」とは何か。
簡単に言えば、他人が譲ってくれるであろう、という
相手に迷惑を掛けても許容してくれるだろうという
厚かましい厚顔無恥な精神構造を呼びます。

日本人は昔から礼儀正しく、周囲の空気を読んで
周囲の状況に対応することができる空気を読む力があります。
その為、他人がして欲しいことを察することができて
サービス精神旺盛に他人のために取り組むことができます。

それは確かに美徳であり、より良い世界構造を作るためにも善い行いだと思えます。
ですが、その結果。多くの人が譲られることに慣れてしまっているのではないでしょうか?

これは車だけの問題ではないように私は感じるのです。
例えば都市部の人混みの中で行き交うときにも感じます。

暗黙の了解として「左側通行」というのが日本にはあります。
道路を歩く時に、左側を歩くことで向かい合ってすれ違う時にも
相手の移動を邪魔することなく進むことが出来るわけです。

しかし、人混みが激しい都市部ではそういう常識もなくなり
歩きたいように、お互いが歩くことに慣れてしまっており
暗黙の了解であったはずの「左側通行」という認識も薄れてしまっています。

交通における暗黙のルールが守られなくなったのか、習ってないのか

話を戻して譲り譲られは、譲られたのなら、次の人に譲る精神を持たなければなりません。
これを実現することで、知らないもの同士が安心して生活するための良心。
そんな良心を持って動くことができれば事故の少ない社会を実現できるのではないでしょうか。

 - ヨモヤマ