elude丸

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「反面教師がいる世代」と「反面教師がいない世代」どちらが幸福なのでしょうか?

      2017/12/14


反面教師がいないことで同じ過ちを繰り返す文化でもあるのかも?

相変わらず「シロクマ」さんは面白いことを考えるものだ。と思った記事を

「最近の若い者は~」は反面教師か。私達の行く道か。

この感情はよく分かります。
若い頃には「こんな大人には」という反骨精神があり
何かと忌み嫌っていた部分を当時若者だった私達は持っていました。
そして自分がそんな風になってくると「最近の若い者は」という感情も理解できる訳です。

ではあるが、まだまだクソミソなオヤジ世代というのはいるもので
まだまだ反面教師というのは感じる部分も少なくない訳です。

ですがシロクマさんが最後にこんな風に結論付けています。

うまく言えないのだが、分別のある高齢者になりたいと願う心と、それでも分別は磨り減っていくだろうという予測の両方が、私のなかにある。両方が混じり合った結果として、自分に対しても他人に対しても、そういうのを許容したい気持ちが芽生えつつある。これ自体、私の分別が衰え始めている兆候だと言う人もいるだろう。そうかもしれない。

そういう部分もあるのかもしれない。
ですが、私個人的には「上の層に反面教師がいるかいない」によって大きく異るのではないだろうか。
と考える節があるのです。

ある意味で、時流とも言える「層」のようなものがあり
「反面教師がいる世代」「反面教師がいない世代」のような層があり
人々の営みの中に消えては生まれてを繰り返しているのではないか?
と考えている訳です。

つまり、我々の世代は「反面教師がいる世代」であったが
その我々よりも上の世代は「反面教師がいない世代」だったのではないだろうか。

我々は反面教師がとなる上の世代を見てきたことで
姿勢を直し襟を締めなおす教訓を得ることができました。
ですが、我々よりも上の世代は反面教師がいなかったことから
襟を正すこともなく、今のような状況になっている。という考えがあるわけです。

そう考えてみると、我々が襟を正した生活をしていると
若い世代に反面教師となることができず
結果として、厚顔無恥な世代が増えてしまう。という可能性があるのではないでしょうか?

とはいえ、詳しく世代間を踏まえて調査や統計などを取ったわけではないため
あくまで私の推察でしかありません。なので、タダの妄想と言わざるをえません。
ですが「ヒト」という種を見た時に「上の層に反面教師がいるかいない」というのも
ある意味で大きいように思える訳です。

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