elude丸

日々の思い描くことをツラツラと綴るブログ

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2017年ゆくネタくるネタ:子供と向き合っている親と子供を無視する親では「公教育」だけでは埋められないのでは?

   


2017年「ゆくネタくるネタ大放出スペシャル」7月頃メモより

この記事は2017年7月5日頃に書いたネタメモからとなります。
おかしな話ではあるのですが独身で子供もいないながら
結構、子供の教育とかには興味がありたびたびその系のネタをアップすることもあります。
まあ、「独身が何言ってんだ」ということもありあまり公開しないようにしておりますが
今回はそんな理由で公開しなかった記事を「ゆくネタくるネタ」にて利用させて頂きます。

子供と向き合っている親と子供を無視する親では「公教育」だけでは埋められないのでは?

子どもを育てることはとても難しいことだとは思います。
ですが、難しいからこそ、親もまた失敗を重ねて「親」として
経験を積んでいくことが重要なのだと私は思います。

私には子どもがいませんがw

それはさておき、そんな子どもの育て方に関して
興味深い記事を読ませて頂いたので紹介させて頂きます。

「子供を無視する親」と「子供と向き合う親」の差を、公教育は埋められるのだろうか。

簡単に説明を入れさせて頂くと
電車にて「子供からの質問などで無視する親」
「子供と向き合い質問に答える親」との違いと
それを「公教育」で埋めることはできるのか?というもの。

私もそういう親の違いを見たことがあります。
そこで私なりに考えることがあったので少し書きたいと思いました。

根本的な問題として、学校などの教育現場に全てを一任する。
というのは私としては親の教育として違うと思います。
なぜなら、子どもたちはスポンジのようなものだと考えるからです。

人類というのは、コミュニケーションを発達させることによって
これまでの世代が紡いできた経験を次世代へと伝播しながら
世代を通して知識を磨きながら発展してきた種族です。

ならば、もっとも身近なコミュニケーション相手であるはずの「親」が
子供とのコミュニケーションを疎かにしていて
よりよい知識の伝播ができるわけがないのです。

人類がここまで進化してきた一つの要因を人文学的に上げるとすると
それは「コミュニケーション能力」を発達させてきたことだと考えます。
群れで行動するオオカミ以上に群れの単位を大きくするために
コミュニケーション能力を発達させることによって
群れの中での連携を強化させることができたことで
人類というのは進化を獲得してきた訳です。

そう考えると子供とのコミュニケーションを行わない親というのは
人類の基礎とも言える進化に逆行している行いだと言わざるを得ません。

子供とのコミュニケーションというのは、学校などに任せて良いものではありません。
現在の家族構成は核家族化が進んでいます。
そうなると幼少の子供達、というのは親以外に信頼できる大人が側にいません。
ならば、分からないことや気になったことを親に問いただすのは最もな行為であり
その解答によって少しずつ知識を伝播しながら
大人へと成長していくわけです。

学校の勉強などで身につく知識は、学校に任せておけば良いでしょうが
それ以外の様々な状況からくる知識は
その時々によって親から子へと伝播させることが望ましいと思います。

例えば記事の中である電車の中でのシーン。

学校の勉強として電車に乗る、という行為はなかなかありません。
ならばそういう状況に親が合わせて、どういうものなのか
どうして動くのか、なぜみんなが乗るのか。などの
知識を伝播させることも必要なのではないでしょうか。

 - ヨモヤマ