elude丸

日々の思い描くことをツラツラと綴るブログ

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クソリプが増えたのは「帰属先」が多方面に広がったことで防衛本能が働くから

      2018/03/12


ヒトが求める帰属先とは蜘蛛の糸のように様々な世界をつなぐ糸

少し古いネタではあるのだが思い出してしまったので
ちょっと書いてみたいと思います。

元ネタはコチラ。

人はなぜ、クソリプするのか w

内容は読んで頂くとして
簡単に要約をさせて頂ければ、クソリプする人間が多すぎなんじゃ、という
永江さんらしい心の叫びだと思いますw

まあ、それは置いとくとして
どうしてクソリプのような過剰反応が増えてしまったのか
という疑問について私なりに紐解いてみたいと思います。
先に断っておきますが、私は精神科医でもなければ心理学者でもありません。
なので、正解というわけではなく私個人の持論である、として読んで頂ければと思います。

クソリプの原因には「帰属先」を持つようになったから

私個人的に思うに「帰属先」を見つけてしまった人間は
その帰属先に準じることで、自分の立ち位置を作りだし
それを持ち得た安心感によって、自分という存在を認めているのだと思うのです。

簡単に説明すると中空に自分が浮いているとします。
とても不安定でふわふわとしており、あがったり突然下がったり。
そんな不安定に耐えられない自分は
自分を定めるための観測点という繋がりが欲しくなります。
その時、用いるのが「帰属先」です。

例えばわかりやすい帰属先と言えば
会社員ならば「○○会社」「営業部」「技術開発科」などなど
学生でも「○○高校」「剣道部」「サッカー部」「生徒会」などなど
のような繋がりを持って自分の帰属先を固定することができます。
別にそれがしっかりとした団体である必要はありません。
「仲の良い友だち集団」というのも帰属先ではあります。
他にも自分が信じる宗教も「帰属先」です。

そこらへんは以前にこちらの記事でも書いてます。
帰属先を求める人類だからこそ日本人は会社という帰属先を得た。が新世代はそうではない

言い表すならば「蜘蛛の糸」もしくは自分の体重を支える「フック」という風に考えて頂ければと思います。
壁に蜘蛛の糸や命綱が打ち付けられており、それによって
自分という存在が中空に固定することができ浮かんでいられる訳です。
大昔にはこの帰属先が「宗教」という一番根太く、そして大事な太い繋がりでした。
なので、宗教というもとで大量虐殺が行われたり、戦争が行われてきた時代があった訳です。
こっちはまさに当時の社会概念などにおいて「命綱」だったのでしょう。
命綱が切れることは、それはすなわち死を意味する世界だったのです。

しかし、今の日本では無神論者が多くなり
やがて宗教という帰属先を失うにあたり
次の帰属先を求めて、自分の確かな立ち位置を得ようとしました。
高度成長期のときにはそれが「会社」や「地域」などだったように思います。
しかし、やがて月日が流れ「会社」や「地域」という繋がりが薄れるにあたり
台頭してきたのが人との繋がりを加速させる「SNS」だったのではないでしょうか。
「SNS」というツールを得たことで、帰属先の拡張が果たせた訳です。

SNSを帰属先として受け入れた理由として私が考えるに
帰属先を複数にすることができる。という安全策があるのではないでしょうか?
「会社」や「地域」というのは大概が一つの繋がりです。
対して、「SNS」というには自分を複数のグループ内につなぎとめることができます。
これは詰まり、幾つかの弱いながらも蜘蛛の糸やフックを這わせることができ
より安全に中空へと留めることができているわけです。
この安全なリスクヘッジを求めた結果、SNSというツールが爆発的に広がったのかもしれません。

そんなSNSを使ってさまざまな繋がりを得た人間は
「自分」という立ち位置を見つけたことで
より積極的に自分という自己を見つめることができ
自分を認識することができたのだと思います。

ココらへんは心理学者さんの方がより詳しく説明できるかと思います。
私はそこまで勉強したわけではないので適当でご容赦を。

クソリプが広がってしまったのは拡散した帰属先が原因

このようにして帰属先が増えたことが
逆にクソリプを広げる原因にもなっているのだと私は見ています。

というのも、いろいろな帰属先へと繋がりを持ったことによって
その帰属先が何者かによって否定や攻撃をされた場合
自然と自分の繋がりまでグラつかせ、不安を感じてしまうからです。

先に言い表したように「蜘蛛の糸」や「フック」となると
壁や天井と接続している部分が不安定になりグラつく自体というのは
宙吊りになっている自分としては避けたい自体な訳です。
もしかするとそれが切れたことで落ちてしまうかもしれない。
そんな恐怖が自分を苛むのです。

繋がりが切れる恐怖を覚えることから
繋がり先を守ろうと、そして繋がり先が断ち切られないように
突発的で瞬発的な防衛本能のように返してしまうことが
クソリプとして発露していると私は見ているのです。

そう、これはある意味で自分の帰属先を守るための防衛本能であり
誰もが持っている感情でもあるとは思います。
しかし、「本能」というように「理性」によって抑えられる行為でもあるはずです。

「帰属先」を持つのは良いこと、しかし頼ってばかりで良いのだろうか?

しかし、実のところ「帰属先」というのは今の時代に必要なのでしょうか?
というのが私の考えです。

「帰属先」をゼロにすることはもちろんできるものではありません。
どこかに住んでいたり、どこかで生活する上で繋がりは生まれますし
当然、日本にいればそれもまた繋がりです。
それに人間という生命体である以上、「家族」という繋がりは
当然ながら存在している人が多いわけです。

しかし、本当に帰属先という繋がりがなければ人は落ちてしまうのでしょうか?
実は人は蝶のような存在で繋がりを持っていなくても
自分自らヒラヒラと飛ぶことができるのではないでしょうか?

そこまで行くと世捨て人のような存在な気がして、オススメするわけではありません。
ですが、繋がっていなければ落ちてしまうという感覚は誤認ではないかと思うのです。

繋がりを求めるというのは生物である「ヒト」が進化の過程において
他種族や動物達などとの生存競争を生き抜くためには
集団行動を必要とし、その結果「コミュニティ」を発達させてきたための
進化の過程で勝ち取ってきた能力だと言えます。

ですが、今の現代においては膨れ上がったヒトという種の中で
コミュニティ自体に殺されてしまう可能性も少なくありません。
そろそろヒトという種としては新しい進化が必要になるのかもしれません。

まあ、そんな数千年スパンの話を待ってはいられないので
自分の心の中でよいのて「帰属先」というものについて
もう一度考え、そしてどうやって自分は飛ぶことができるのか。

自分という己の中の存在を考えてみては如何でしょう。

まあ、最後になりますがクソリプに対してマジメな話をすると
送信する前にまずは文言を確認しろw
先にも書きましたが本能は理性で抑えられます。
これで80%ぐらいは解決できそうですけどねw

 - ヨモヤマ