elude丸

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映画「ジョーカー」歴戦のジョーカーに負けず劣らずの名演!見逃せない名作!

   


映画「ジョーカー」はまさに名作で間違いない。見逃し厳禁!

10月に入って期待の映画を視聴してきた。
それが映画「ジョーカー

DCコミックにおいて最凶のヴィランでありバットマンの敵役。
白塗りのピエロ化粧にて顔を隠し、派手なカラフルなジャケットに身を包む
おなじみにキャラクター「ジョーカー」

そんなジョーカーがどうして生まれたのか
どうして人を笑わせたいと願っていたコメディアンが
凶暴に凶悪へと、サイコにイカれた野郎となってしまったのか。
その生誕の物語を余すことなく描いた作品。

ただのヒーロー映画と侮ってはいけない

緻密に描かれた演出によって徐々に感情移入し
人知れず、彼の苦悩の原点に身を震わせ
社会へと向けられた狂気に満ちた怒りの演説に感化されてしまうことだろう。

だからこそ、R15指定であり
R15指定だからこそ描けるジョーカーという物語なのだと
視聴を終えたあとに一人、納得させられます。

それほど「反逆のシンボル」として
ジョーカーを描ききっているのです。

書きたいことはいろいろあるが
やっぱり、まずは映画館にて見てもらいたい。
ので、此処から先はネタバレを含みながら書かせていただきます。
見ていない人は、まずは映画館にて視聴してからよろしくお願いいたします。

音楽すら聞き逃がせない!ジョーカーの心理描写に徹底したBGM

劇中のBGMは聴き逃がせない。
なぜなら、BGMとジョーカーの心理描写はリンクしているから。
そのように見事に演出しており、聴き逃がせない。

楽曲で一番耳に残るのが低音で響かせる弦楽器の旋律
まさにほの暗く、泥流の奥底を流れるようなどす黒い
鬱屈した感情の渦を表すかのような旋律で
時として顔で表現されないアーサーの心情を補填し
視聴者へと感情移入を加速させます。

ジョーカー独特の「高笑い」という設定を
緊張時に笑ってしまうという病気の設定とすることで
劇中で何度も「ホアキン・フェニックス」の高笑いを聞くことになります。

「喜び=笑い」という感情の関連付けが難しい中において
BGMがジョーカーの感情と関連付けられることで
ジョーカーが高笑いを続けながらも
どういう感情でいるのかを、視聴者は察することができます。
その察した感情に、自然と感情移入されていくのです。

特にこの「高笑い」
間違いなく、ホアキン・フェニックスは役作りのために
気が遠のくような練習を続けたのだろう。
そんな風に思えるほどに印象に残ります。

喜びの感情を爆発させたような「哄笑」
甲高く笑いながらも、本人は必死に身を捩りながら笑いをこらえようと苦心してみせ
やがて笑いとともに吐き出された息のせいで呼吸を困難とし
咳を混じらせながらも止まることなく続けられる哄笑が
やがて悲壮感をもたせた嗚咽へと聞こえてくるのです。

まさに「演技」
この技量だけでも鳥肌が立ちます。

TVCMが劇団ひとりの訳、そこに気付くことでさらなる奥深さが見えてくる

今回、テレビCMにて「劇団ひとり」さんが起用されています。
正直、映画を見るまでは「なんで?」
どこか違和感に似た感情を抱いていたのです。

熱烈ファンの劇団ひとり絶賛する「ジョーカー」

ですが、見終わってみると。
「劇団ひとり」というコメディアンが宣伝に使われた
その理由のようなものを悟ると救いの手があったのに。
という忸怩たる思いをつのらせてしまうのです。

ジョーカーとなるまえのアーサーは売れないコメディアン。
テレビのコメディーショーの
ロバート・デ・ニーロ演じる「マレー」というコメディアンに憧れながら
人々を笑わせることに生きがいを見出しています。

しかし、積み重なる不幸によって狂気へと落ち
ジョーカーとなったあとにマレーのTV番組へと呼ばれます。
呼ばれたのは場末の劇場にて披露した芸を認められての起用。

そして、出演本番にマレーに対して
「笑いものにしている」と責め立て、撃ち殺してしまうのです。

こうみると、確かにマレーの中には
新人をただあざ笑い、聴衆の晒し者とするために
テレビショーへとシロウトを登壇させた偽善者のように映るかもしれない。

しかし、テレビ放送が始まる前の楽屋での
マレーとジョーカーとのやり取りを思い返してみると
そこには「マレー」が持っていた優しさ。
そして、ジョーカーに感じた原石の輝きへの期待感。
というものが垣間見えていたのです。

確かに最初は笑い者としての起用だったかもしれない。
しかし、そこにはこのキッカケにビックになってみせろ
というお笑い芸人ならではの、先輩からの愛ある引き上げであったのではないだろうか。

そう考えたとき、「劇団ひとり」という
芸人が宣伝を担当したことの意味を感じてしまう。
彼もまた苦労なく売れたわけではないだろう。

今少し早くマレーにあっていれば。もう少し早く劇場へと登壇していれば。
ジョーカーという狂気へと落ちてしまうコメディアンは
生まれなかったのかもしれない。そんな風に思えてしまう。

そして、最後にこれは忘れてはならないが
エピローグの「精神病院」だと思われる場面。

まるでこれまでの話が
患者が頭の中で思い描いた絵空事のような
いわゆる「夢オチ」にも近いどんでん返し

ジョーカーが過去を思い出し「面白いジョーク」と言っているのか
ただの患者が夢想しただけの「面白いジョーク」だったのか。

すべてを引っくるめて視聴者へと投げかけてくる演出。
これこそまさに「面白いジョーク」

今年、1・2を争う名作だったのは間違いない。

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