elude丸

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マインクラフトが教育に良いとか。いや、ゲームそのものが教育に良い

      2017/03/30


Minecraftが最近教育部門で大変興味を持たれてるとか…

以前、友人と話していてゲームの話題で大いに盛り上がった話がある。
それが

「ゲームって、結構勉強の役に立つと思うんだよね」

私もこの意見には多いに賛同し、さらに話が盛り上がった。

さて、どうしてこんな話をさせて頂いたかというと
先日、ニュースにて下のような記事が取り上げられたからである。

小学生に拡がる“マイクラ”ブーム、その教育的効果とは

Minecraft

皆さんは「Minecraft」(マインクラフト)というゲームを知っているだろうか?
世界的なムーブメントを起こしたサンドボックスゲームの金字塔。
アメリカの小さなゲーム開発会社が制作したこのゲームは初期の頃は
資金を集めるためにプレビュー版を破格の値段で提供し、その後バージョンがあがるたびに
価格帯を見直しつつ製品版へとバージョンアップを繰り返すという形でゲームの提供を続けてきた。

私が実際に購入したのは、確か「1000円前後」だったと記憶している。

しかし、今では様々なプラットフォームにてゲームが展開されており
ゲーム一本で世界が大きく動いたと言える。……話は少し逸れるがゲーム開発はだからこそ企画勝負だと言えるのだ。

そんなマインクラフトというゲームプレイには明確な目標はない
ストーリーもなければ、グラフィックもお世辞抜きで良くない。
角ばったブロックに、角ばった武器、道具を使い。動かしてるキャラだって角ばっている。
「直角愛好者」には嬉しい環境だろうが、時には曲線も見たくなるほど
すべての物が直角の箱によって描かれている。なのに世界規模で大人気なのである。

そんな角ばったMinecraftが子どもたちの間で大人気

ある意味で、「積み木」というものに近いからなのか
想像豊かにブロックを組み合わせて、モノ作りを楽しめる空間がそこにある。
だかこそ「サンドボックス」=「砂場」というジャンルに位置づけられている。
記事内の言葉を抜粋させていただくと

この世界でどうやってモノを動かせば建物やアイテムが作りだせるのかを理解し、頭の中で想像した自分だけの“作りたいモノ”や“理想の世界”を試行錯誤しながら生み出し、友だちと話し合いながらこの世界での楽しみ方を創り出していくという創意工夫によって生み出されるゲームであり、こうした理解力や想像力、仲間との協調性を育むことができる点が、教育的な観点からも有効だと考えられているのです。

という風に紹介している。

これは「Minecraftだから教育に良い」と言えるのだろうか?
いやいや、上記で紹介した友人の言葉のように「ゲーム全体」が教育に良いのである。

では、どうしてそう考えるのか、友人の言葉を膨らませて、私の推察を述べさせていただく。

例えば、格闘ゲームというジャンル。人気ジャンルで2D、3Dのゲームがいくつも出ている。
これのどこが教育に良いのか? 理由は単純明快で勝ち負けがハッキリしている。
勝ち負けをしっかりと決めることで、競争心が養われ上昇志向が生まれる。
それとは別に、格闘ゲームは上級者になると、どうやって相手の裏をかき、自分の得意分野へと持ち込むか。
そんな心理戦もありうる。相手の行動を予測したり、相手の戦い方を見極めたりという才能もいる。
これらは状況分析観察力の向上に繋がるし、格闘ゲームでは咄嗟の判断がモノを言う場面も多く、自然と判断力を養うことができる。
また、程よい緊張感を味わうことで、プレッシャー強い心が伴う。

では、他のジャンルからRPGはどうか。RPGと言っても様々あるが資源管理の重要性が担える。
町から次の町への移動。道中は敵だらけで戦闘は避けられない。
そんな時、強力な魔法はどの段階で出すのか。どんな敵の時に出すのか。
回復魔法は多用するべきか。薬草でカバーするべきなのか。
現在使える様々な資源(魔法やアイテムなど)を確認し、それらを有効に利用するための知恵が必要となる。

他にもFPS。一人称視点シューティングと言われるもので
銃を撃ちあうスリリングな内容が「ゲーム=悪」の槍玉に挙げられることが少なくない。
こちらも格闘ゲームに通じて、状況分析や観察力。
そして何より、戦術、戦略の部分で勉強することが多い。
特にオンラインでの対戦モノとなると、その瞬間的、刹那的な判断の良し悪しは
戦績に直結するため、大いに精神が磨かれることだろう。

メタルギアソリッド5 ファントムペイン」では
目標へとどのようなアプローチを行うのか
多くの取捨選択を行い必要な装備や人員の確保
敵に期せずして見つかった時の緊急時の対処など。
いろいろなことを学べると共に、奥深いドラマ性にはなんとも引き込まれる。

このように様々なゲームジャンルでユーザーは貴重な経験をすることで勉強している。
実際、昔からあるカードゲーム(トランプ)の遊びの多くは元を正せばギャンブルの遊びであったし
ボードゲームの将棋やチェスは戦争の軍略を練るための戦略ボードのコマであった。

でも、ゲームにも悪い面っていうのはあるんじゃないの?

とはいえ、良い面ばかりではないことも知って置かなければならない。
残念ながらゲームには悪い側面もある。

例えば、格闘ゲーム瞬間的判断や競争心が重要な要素であるためゲームプレイには人を選ぶ。
私などが良い例で、あまり私には競争意識がないので
ホント、たしなむ程度にしか格闘ゲームは遊ばない。CPUの強さも並レベルでお腹いっぱいだ。
(それですら負けることも少なくない)
そのため、強い人と弱い人が戦った時、一方的な試合になる場合がある。
この時、勝った方はスカッとするが、負けた方はあまり気持ちの良いものではない。
特に苦手だと分かっていて遊ぶ場合にはイジメに繋がる。

RPGにもそれはある。最近は次のイベントポイントを示すガイドが充実している。
そのため、ゲーム内の会話を読まなくても、なんとなくでもクリアできてしまう。
結果、「無駄な話、いらないからイベント進ませろ」という言葉の冗長を生み出し
冒険する楽しみ自体が失われているように感じる。

FPSは言うまでもないだろう。ゲームのリアル化が加速した結果
アメリカなどでは実際の事件にまで発展するケースが起こっている。
嘆かわしいことだが実際にある事実で、これらから目を背ける訳にはいかない。

それでも、私はゲームは教育に良い。と言いたい。

頑なに教育に良いていうけど悪い面があるのがどこが良いのよ

結局のところ、「ゲーム」というものも本やテレビなどと同じように
与えられるコンテンツ群の一つでしかない。

コンテンツ群はそれらを取り扱えるかどうかの判断基準が
備わっているどうかが一つの基準になっていて
日本では「コンピュータエンターテインメントレーティング機構」(略称:CERO)がその判断基準を元に
対象者を絞った形をわかりやすく明示し、対象年齢を絞る形で発売されている。

しかし、今現在。それをしっかりと守っている家族というのがいるのだろうか?
子供に求められるまま、小さい子供に「コール オブ デューティ」などのFPSを与えたり
人を簡単に殺すようなゲームを与えてはいないだろうか?

また、親がそれを遊んでいる姿を子供に見せるのも、私個人的にはナンセンスだと思っている。
子供たちがそれらを遊ばないからと言って安心などできない。
大人が遊ぶ姿を見せていては、それに興味が移り、自然と遊びたくなる。
親の真似事をしたいのは子供の性であり、親がやっていることに興味を持つものだ。

教育というのは、”人”という種がこれまで培ってきた経験の
集合体をこれからの”人”へと伝える行為。だと私は考えている。
では、ゲームの悪い面もしっかりと教育し、繰り返さないようにすることこそ
教育と言えるのではないだろうか。

だったら、しっかりと子供達のことを考え
どんなコンテンツを、どの年齢で与えるべきなのか。
しっかりと親がそれを判断しなければならない。それが親の責任である。

Minecraftが教育に良い、と浮かれるのではなく、ゲーム事態をコンテンツと認め
ゲームの中から学べるものがあることを知り
悪い面もあることを認め、親が子供へとゲームを与えることから逃げてはならない。
上記で示したようにゲームには様々に学べることがある。
その義務から親は逃げてはならないと、私は推察している。

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